このブログのこれからについて
こんにちは、ひよりみです。
退職してから最初の月曜日です。
抗不安薬が効いているおかげか、はたまたブラブラとしている(言うなれば「レールから外れている」)期間が世間一般の人々からしたら長いからなのか、比較的穏やかに過ごせています。
さて、今後このブログでは私が発信したいことをいくつかのカテゴリに分けて投稿していきたいと考えています。
1.休職日記
文字通り、私が休職していた期間(1ヶ月間)の日記になります。
実は、休職の初日から毎日、スケジュール帳の後ろのノートのページに日記をつけていました。
正直な話、結果として1ヶ月で退職に至っているため、休職中のおすすめの過ごし方を紹介するつもりで書く気は全く、1㎜もありません。
むしろ現在精神疾患等で休職中の方はここに書かれている過ごし方は参考にはしない方がいいです。笑
ただ、「適応障害になった人でこういう過ごし方して、こんなことを考える人もいるのだな」という現実を知ってほしい、という思いから、発信したいと思います。
ちなみに、無職になった今も日記はつけ続けています。笑
2.無職日記
1の休職日記の退職後バージョンと考えていただければOKです。笑
ただ、休職日記は過去の出来事であるのに対して、無職日記は今現在やこの先の未来の内容になるため、どんな内容になるかはまだ私にもわかりません。
できれば、休職日記より明るい内容をお届けできたらいいなと考えております。
3.カウンセリング日記
こちらでは、2022年12月から通っているカウンセリングの記録を綴っていきたいと考えています。ほぼほぼ自分のための備忘録になると思いますが、読んでくださった方にも何か感じ取ってもらえると嬉しいです。
他にも、過去の話(新卒入社した会社でいろいろあったり、大学で留年を経験していたり等ネタになりそうなエピソードがそれなりにあります)も書きたいのですが、どういうカテゴリ分けをするのが適切なのかまだ思い浮かばないため、おいおい書いていけたらと考えています。
どうぞ、お付き合いいただけますと嬉しいです。
退職しました。
こんにちは、ひよりみです。
タイトルにある通りですが、昨日、昨年4月から勤めていた会社を退職いたしました。
昨日約1ヶ月ぶりに会社へ行き、役員の方々との面談にて、休職期間満了に伴い退職したいとの旨をお伝えしました。
役員の方(直属の上司でないさらに上席の方)とは私の適応障害について話すことは初めてで、
・適応障害を発症するに至った経緯
・前職での業務について(問題なく仕事ができていたのかどうか)
・場合によっては私が仕事をしやすいように配慮することも考えるが、本当に退職でいいのかどうかの意思確認
等の質問がありましたが、それを聞いた上で「自分の心身の健康のことを一番に考えて、退職して療養に専念したいです」と願い出ました。
結果としてその要望はあっさりと認められました。
(理由が理由なので仕方がないと思いますが、前職で引き留めにあい退職に失敗したこともあったので少し拍子抜けしました。笑)
提出しなければならなかった書類を提出し、健康保険証を返却し、会社に置いてあった私物を回収しました。(会社の制服はクリーニングに出した上で返却することになりました。)
少し迷いましたが、その時会社にいらっしゃった方に「短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございました。」と軽く挨拶をして、会社を後にしました。
行く前はずっと胸が苦しく吐き気がしていましたが、終わってみると、想像していた業務に穴を開けたことに対する恨み言や嫌なことを言われたりすることはなく「身体を大事にしてください」とのお言葉で送り出してくださいました。
業務上仕方がなく電話がかかってくることも数回ありましたがほとんどは私の病状に配慮して連絡を控えてくださったこと、そして最後は私の意思を尊重してくださったことに関しては、会社の方々には本当に感謝しています。
これからのことについてはおいおい考えていかないといけませんが、ひとまずは一度「働く」ということに区切りをつけて、心身の回復に努めていきたいと思います。
また、ブログに書きたいこともいろいろあるので(それに体力や気力が追いついていないのが現状ですが…)、少しずつ書いていきたいと思いますので、ご興味のある方は読んでくださったらうれしいです。
復職許可が下りなかった話
昨日、今年に入って初めて心療内科を受診してきました。
会社から指定されている休職期間が12月中旬からの1ヶ月間だったため、これまでの休養で順調に回復していれば、復職が可能である旨を記載した診断書が発行される予定でした。
しかし、主治医からの診断の結果は「現時点での復職は難しい、厳しい」というものでした。
それもそのはず、個人的にはかろうじて日常生活は送れていても、まだ仕事ができるほど心身が回復していない感覚があり、復職に対して不安や恐怖心しかないといった状態でした。
そのため、診察室に入った段階で胸の圧迫感や動悸があり、主治医と少し会話しただけで涙が出てきてしまいました。
そのような私を見て、主治医は復職の許可は出せないと判断したようです。
少なくとも、私にとっては1ヶ月という休養期間は短すぎたようです。
というより、精神的に「休む」という行為が出来ていなかったのかもしれません…
1ヶ月間私の代わりに業務を行ってくれていた社員さんたちにはせっかくのお休みを有効に活用できなくて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
上司に診断結果を報告したところ、「13日に会社の方へ来て話を聞かせていただけますか」とのことでした。
その時までに今後どうするか、腹を括らなければ、と思っています。
辛いけど、なんとか生きます。
ブログ名を変更しました。
こんにちは、ひよりみです。
ブログの名前を変更することにしました。
「迷走中。」から、「メンタル激弱日記」に変更します。
このブログを作った当初から迷走していることに変わりはないのですが、
メンタルが激弱なのも昔からずっと変わりません。
メンタルがどれほど弱くても、それが原因で働けなくなっていても、
どれほど死にたくても、残念ながら生きなければなりません。
メンタルが激弱な休職中のアラサーが、日々どんなことを考え
生活しているかなども綴っていきたいと考えています。
書きたいことがいろいろあって収拾つかなくなりそうですが
温かく見守ってもらえると幸いです。よろしくお願いいたします。
更新が無かった間の出来事(ざっくり版)
こんにちは、ひよりみです。
最初の方の更新と前回の更新(適応障害になった報告)とで時間が空きすぎており、
前回も書きましたが職場や居住地が変わっております。
具体的に何があったか、時系列に沿ってざっくりと書いてみようと思います。
2020年2月頃~
新型コロナウイルスが日本に襲来
職場で一瞬テレワークが導入されそうになるもGW前の3日間で終了
プライベートだと遠距離の彼氏と会いづらくなる
2021年6月頃~
彼氏が転職活動を開始、これを機に一緒に暮らす話が浮上
2021年8月頃~
ひよりみ自身も転職活動を開始
しかし彼氏の転職先がまだ確定していなかったため
拠点が定まらない状態での転職活動は困難を極める
2021年11月
彼氏の転職先が決定、近畿地方某都市への引越しが決まる
二人暮らしをする物件も11月中に決定
2021年11月末
ひよりみ、前職場へ退職の旨を伝える
2021年12月末
ひよりみ、新卒で入社した会社(前職場)を退職
勤続期間:4年9ヶ月
2022年1月
彼氏と二人暮らしを開始、最初の数ヶ月は無職
(彼氏は引越し後1週間で新会社で勤務開始)
2022年3月
ハローワークからの紹介で現職場から内定を受け取り、受諾
3ヶ月間のニート期間を経て4月から社会復帰が決まる
2022年4月
現職場へ入社、最初の数ヶ月は順調そのもの
2022年9月
勤続年数20年超のベテラン事務員さんが退職
ベテランさんがこれまで担当していた仕事を
ほぼ全て私が引き受けることになる
2022年11月頃
仕事が徐々に回らなくなり、上司からの叱責も増える
体調にも変化が現れ、精神的にも限界が近づく
2022年12月
翌週に会社へ診断書を提出
その後1週間ほど勤務した後、休職に入る
仕事、プライベート問わず、主に私にとって影響が大きかった出来事を
中心にまとめてみました。
個別の出来事については(特に最近の出来事について)また深く
掘り下げていこうと思います。
2022年12月17日
【2022年12月17日(土) 日記】
・朝8時ごろ目が覚めたが、起きる気にならず9時40分くらいまで布団の中でダラダラ過ごす
・11:00~歯医者(3ヶ月に一度の定期健診)
一部歯肉炎有り、他は問題無し、歯のクリーニングをしてもらった
・心療内科に電話し、他機関にてカウンセリングを受けても問題が無いことを確認し、その後カウンセリング機関に予約を取る。翌日11:00からで予約が取れた。
・カウンセリングで話す時用に、自分の性格の良くない部分や、適応障害に至るまでの経緯をまとめた。
・抗不安薬1回
【2023年1月23日(月) 補足】
休職が始まってから初めての土曜日(=会社が休みの日)でした。
やっぱり自分が休職していても、会社が営業している平日はどうしても心が落ち着かない感覚がありましたが、土日は他の人もお休み(のはず)だから、自分も休んでいても大丈夫だ…という安心感のようなものがありました。
私は普段から、目が覚めてすぐに布団から出る、という行為ができません。
仕事のある平日でもアラームが鳴る時最低1回はスヌーズにして、2回目のアラームを停止にしてからも5~10分程度は布団から出られません。それを踏まえて、布団から出ないといけない時間の20分ほど前にアラームをセットするようにしています。
起きる時間が決まっていない休日は、ひどい時だと2時間近く布団の中にいて、スマホを見たり妄想にふけったりしています。
なぜかは自分でもよくわからないのですが…「もう朝…起きないと…起きるのやだ…」とうだうだする時間が自分にとっては必要なのかもしれません。
同じ方がいらっしゃれば教えてくださると嬉しいです。笑
地元から引っ越してきてから通うようになった歯科医院は、歯の定期メンテナンス(歯のトラブルの予防)に特に力を入れているらしく、通院を始めて以来、施術後お会計の際に次回の予約を取るのが決まりとなっています。
そのためこの日に定期健診に行くことは9月の時点で決定していました。
正直あまり気乗りはしませんでしたが、予約を入れている以上行くしかありません。
お恥ずかしい話ですが、私は大学に進学してから今住んでいる土地へ引っ越してくるまでの約10年間、歯医者に一度も行っていませんでした。
そのことを現在の担当歯科衛生士さんにお話すると「それは…歯が強いのね…普通は10年も放っておくとどこかしら痛くなるものよ」とびっくりされてしまいました。笑
一応今のところ虫歯はないですが、歯茎が少し腫れやすかったり歯周ポケットが深い部分があったりするようなので、これからも定期的に通院していきたいです。
カウンセリングについて。
もともとカウンセリングを受けるつもりでいましたが、このタイミングで受けようと決心したのは、前日に届いた会社からの「休職通知書」によって、「1ヶ月間でせめて復職できる程度に回復できるような努力をしなければ」と思ったからです。
正直な話、前向きな気持ちより、焦りの方がはるかに勝っていました。
数日前にカウンセリング機関に電話した際は、主治医の許可を取ってから、という話でしたが、次の診察まであと10日程度あり、それまで待っていては間に合わないと思いました。
「4日前に受診した時に確認しておけばよかった…」と後悔しつつ、苦肉の策で病院に電話し、電話担当の方に他機関のカウンセリングを受けても問題はないかどうか確認したところ、特に問題ないとの返答でした。
主治医本人からではありませんでしたが許可が取れたということにして、カウンセリング機関に予約の電話を入れたところ、翌日に早速予約を取ることができました。
このことで少し不安感が和らぎ、カウンセリングでどんなことを話し、どんなことを解決したいかをメモに書く作業を行いました。(こちらのメモに「適応障害発症までの経緯」があるので、後日書かせていただこうと思います。)
今後カウンセリングを受けたいと思っていらっしゃる方にお伝えしたいことがあります。
「カウンセリングの中で話したいことや自分が考えていることを文章化した上でカウンセリングに臨む」こと、とてもおすすめなので是非一度やってみてください。
理由については、翌日分の日記またはカウンセリング日記にて書かせていただこうと考えております。
それでは本日はこのあたりで。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
2022年12月16日
【2022年12月16日(金) 日記】
・朝8時30分ごろ起床 起きる時間がまた遅くなった
(パートナーは今日も在宅勤務)
・部屋の片づけを少しして、大きめのごみ袋一つ分のごみを捨てた
・今日の外出はごみ捨て、郵便物の確認のみ
ついでにすぐ近くのコンビニでロールケールを購入
・会社から、「休職通知書」「休職者近況報告書」が届いた
通知書には、
「復職を申し出る場合には、復職が可能である旨を記載した医師からの診断書を提出すること」
「休職期間満了日までに復職ができない場合は、原則退職とする」
と記載があった。
・ハローワークから、就職促進定着手当の受給決定の通知が届いた
来週には振り込まれる予定
・抗不安薬2回
【2023年1月23日(月) 補足】
仕事が無い日々に少しずつ慣れている様子が窺えます。
この日も会社からの連絡がないかどうか気にしてはいたと思いますが、以前ほどの不安感はなかったようであえて日記に書こうとは思わなかったようです。
自分の部屋については、直近2ヶ月ほどは特に片付けをする余裕が無く、友人の結婚式用に購入した靴、小物類等の包装が床に放置されている状態だったため、現時点でもういらなそうなものを思い切って捨ててみた結果、大きめのごみ袋一つ分のごみが出ました。
ちなみに完全に余談ですが、私自身もともと結構な「汚部屋人間」でした。
実家で暮らしていた時や、学生時代に一人暮らしをしていた時は、まだ使えそうなのにもったいない、「捨てる」という行為そのものがめんどくさい、捨て方がわからない、等複数の理由から物をなかなか捨てることができず、常に多くのものに囲まれて生活をしていました。
その頃のことを考えると、パートナーが私と比べて綺麗好きであることや、パートナーとはいえ他人の目が気になることもあり、比較的綺麗な状態を保てていると思っていますが、パートナーから見ると雑然として見えることがしばしばあるようです。
「ロールケール」は完全に「ロールケーキ」の書き間違いです。当時気づかずそのままになっていたのが面白くてそのまま書いてみました。笑
問題の「休職通知書」について。
今回の私の休職は、就業規則に基づいて「1ヶ月」という期間が設定されたそうなのですが、実のところ私は元弊社の就業規則を見たことがありません。
入社して数ヶ月経った頃に「この会社の就業規則って見ることはできますか?」と他の社員さんに聞いたことがあるのですが、「さぁ…私も見たことがないから…」というような回答が返ってきました。(その場には数名の社員さんがいて、全員がそのような反応でした。)
この時に「就業規則って従業員に周知するものじゃなかったっけ…?」と違和感を覚えました。今思うと、元弊社へ不信感を抱くようになった最初のきっかけはこの出来事だったかもしれません。
結局最後まで就業規則の内容を確認することはなかったのですが(気にはなりましたが交渉する気力がありませんでした)、おそらく、勤続年数に応じて休職できる期間が定められていたのだと思います。入社してまだ1年未満の私は、一番短い「1ヶ月」だったのだろう…と。
そこからの「休職期間満了日までに復職ができない場合は、原則退職とする」
休職通知書の最後に記されたこの一文が、休職真っ只中の私にとって一番衝撃が大きく、私の頭を最も悩ませるものとなってしまいました。
今は、この文言はあくまで形式上のもので、交渉次第では休職期間を延ばしてもらうこともできたかもしれない、と考えることもできます。
しかし、当時の私にはそういうことが全く考えられず、こんな気持ちしか思い浮かびませんでした。
「精神疾患を1ヶ月で治して復帰なんて無理だ。これは、事実上の解雇通知だ。」
主治医は、「『早く治さないと』と焦る必要はない」と言ってくれたのに。
会社は、「早く復帰しろ、無理なら辞めろ」と言ってくる。
とても「決断」ができる精神状態ではないのに、会社は決断を迫ってくる。
焦燥感が止まりませんでした。
話は変わって、皆様は「就業促進定着手当」というものをご存じでしょうか。
就業促進定着手当は、再就職手当の支給を受けた人が、引き続きその再就職先に6か月以上雇用され、かつ再就職先で6か月の間に支払われた賃金の1日分の額が雇用保険の給付を受ける離職前の賃金の1日分の額(賃金日額)に比べて低下している場合、就業促進定着手当の給付を受けることが出来ます。(ハローワークインターネットサービスHPより引用)
離職前に所属していた企業で雇用保険に加入していた場合にもらえる手当の一種です。
私の場合、新卒で入社した会社を退職後、基本手当(いわゆる「失業手当」)の支給を受け始める前に元弊社への再就職が決まり、基本手当を1日分だけもらい、残日数89日分を再就職手当として、本来受け取れる予定だった基本手当の70%分受け取りました。(※残日数が支給総日数の3分の2以上だった場合は基本手当の70%、3分の1以上だった場合は基本手当の60%です)
その後、再就職後6ヶ月分の給与額が離職前6ヶ月分の給与額を下回っていたため、その差額を受け取ることができた、ということです。
ただし、就業促進定着手当には上限額があり、再就職手当を70%の金額で受け取った場合は残り30%、60%の金額で受け取った場合は残り40%の金額が上限額です。
結果的に、再就職手当を受け取った人は、再就職した会社で6ヶ月以上働き続けた場合、基本手当を満額で受け取った場合と同じ金額を受け取ることができる、ということになります。
実際のところは、約9ヶ月半で退職(しかも実質働いた期間は8ヶ月強)という結果に終わってしまい、この手当の目的である「再就職先への定着」はできなかったのですが…
もらえる資格のある手当だし、申請も少し手間がかかるものなので、申請したもの勝ち、もらったもの勝ち、ということにしておきます!笑
この日はとにかく「休職通知書」の衝撃が大きすぎました。
就業促進定着手当の支給決定は嬉しい出来事でしたが、それでもそちらのインパクトが強すぎてあまり喜べなかった記憶があります。
また長文になってしまいました…
読んでくださった方、本当にありがとうございます。